打ち上げとか。

部活の学祭打ち上げで焼肉食いました。
1,2,3年とほぼ全員揃ったので30名近くいましたが、特に問題もなくてよかったです。
帰りに部長お疲れ様って事でプレゼントもらいました。まさかそう言う事は今の3年からは想像出来なかったので(失礼?)素直にうれしかったです。ありがとうございます。
そのあと、二次会でカラオケに行き(フリーまでゲーセンで暇つぶし)して、朝方マクド朝マックを食べ、そのあと八事に部長会へ行き(次期執行部が立候補者0人はすげーな)、その後、漫研のぐっちょとその付き添いとカラオケに行って、大須に行って帰ってきました。

さて、これで、部長としてやった2年間も終わりです。考えてみれば、大学生活の半分を部長として過ごしたわけですが、本当に色々な事を体験できた思います。

当初僕は、大学では音楽系のサークルとスポーツ系のサークルに入ろうと思っていたのですが、音楽系サークルは何処もバンド主体で打ち込みをやる空気はないと言う話。スポーツ系のサークルも、体育学部があるせいか、結構ガチな人達が多いらしく断念。
と、言うことで、CGには興味あったので美術部(正式名称は美術クラブ)に入る事にした。
入ってみれば変わった先輩が多く、DTMで作曲してる先輩がいたり、ブレイクダンスしてる人がいたりで、遊び大好きの自分にとってはこの生ヌルイ部活が同人活動もしていたりと言う事もあってかちょうどよかった。ってか自由度が高かった。新歓コンパでは、「飲まされる」と言う事になれてなかったせいか、ハメをはずし過ぎて、えらい事に。それから当時部内では僕にお酒を勧める人は、後の処理の事も考えるようにと言う空気に。
何より、僕としてよかったのが、部活と言う事で、文化会なる町内会みたいな組織があって、それのおかげで、他の部の人と仲良くなれるシステムはよかった。(他の人はあまり快く思ってなかったみたいだが)またリーキャンなる研修旅行みたいなのがあって、そこでも様々な出会いが。これのおかげで、大学内での知り合いや友達がぐっと増えた。また、同じ学部の子で実は他の部だったなど多数。

その後、学祭があって、世代交代の時期がやってきた。僕は高校までの友人なら知ってると思うがリーダー的な物は不向きだと思っていたので(盛り上げ担当なので)当時の部長から次期部長をやってくれて言われたときは本気で嫌がった。そもそも、1年だったので何故1年で?2年生がいるじゃん(まぁほぼいないようなものだったけど)、と言う気持ちでいっぱい。
挙句の果てには部全体で嫌がる僕を半場強制的に部長にしようと言う流れが・・・。(部長の欄に勝手に名前を書かれたり)と、言うより、部長をやるなら本気で部をやめようと考えていた。
しかし、打ち上げで多数の先輩たちに説得され酒を飲んでいたこともあり遂に承諾してしまう。

2年部長と言うう事もあり、3年生の中でやっていけるか心配だったのだが、偶然にも演劇部と鉄道研究会と出版部(実質3年だが)も2年生部長と言う事もあり、他の3年生の部長も快い人達ばかりで、楽しくできたと思う。

代が変わってから半年は順調に過ごしていたが、新入生が入ってからちょっと立つと部内では不穏な動きを見せ始めた。もともと、部内に火種を抱えてはいたが(いつのまにか火種は圧力的に消えていったが)どうも、部内が割れているように感じ始めた。部長と言う立場から、どちらの肩を持つこともできなかったため、ここが非常に苦労した。

自分で言うのもなんだが、うちの部の体質上、部長は激務であった。部では「協力」と言う言葉あまりなく、基本的にスタンドアローンで動くことが多かったため、部長に仕事が集中しがちになる(と言うより、他の人に仕事を頼んでも、メンドイからとか自分にはできないとか言う理由でなにかと断られることが多かった)そのため、汚れ役と言うのがわかっていたので、部長になりたくはなかったのだが・・・。よく頼みを聞いてくれた部員は、サークルと掛け持ちしてる人が多くサークルの幹部につく事が多かったため、そちらに流れる傾向が見られた。

そう言う事態が重なり、BFクラブと言う気楽に遊べる存在も出てきて、部の人間関係に対して嫌気がさし始める。しかし、文化会は楽しかったため、部長としては何とかやっていけたきもする。

また代替わりの時期になると、自分の友人関係が他の部やサークルの部長になる。そのため、悩みを聞いてくれる人もいたり、何かやるにしても連絡が円滑でよかった。3年になると後輩たちが基本的に部を引っ張ってく傾向が出てきたため、僕も安心してやれたと思う。

今書いたことが全てではないが、ざっと思い出すとこんな所。


さて、残りの1年とちょっとは忙しくてできなかった好きな事とか就活や同人などで過ごしたいと思います。

部活の部長やサークルの部長さんや学祭委員長さん、お互いお疲れ様でした。